教育の原理
第1分冊
第2分冊
第1分冊
略題<教育思想>
受付15.11.26 評価B
コメニウスは近代教育論の先駆的役割を果たしたチェコスロヴァキアの宗教改革家であり、17世紀最大の教育学者で近代教育学や新しい自然科学によって成立した教授学の始祖とも言われている。主著に世界最初の教育学の体系的な著書である「大教授学」があり、世界の平和、人類の平和を願う平和主義者としての思想とキリスト教の世界観である世界を神における一大調和とみる教育思想を述べており「知を通して徳から信仰に至る」という認識論を含む神学の観点から、全ての国の男女が同一の言語により、あらゆる分野の学問と統合した普遍的知識の体系を学ぶ必要を説いているのが特徴である。子供に対する教育に関して、19世紀末以降の新教育運動の原点となる人間の内部に神性を認める思想、子供の中に「善なるもの」を認める思想による児童観を主張し、教育の本質は子供の外側ではなく内側から育てていくもののいう教育観はルソー、ペスタロッチー、フレーベルの思想の原点とも言える。
ルソーの教育思想は書籍「エミール」の冒頭にあるように「万物を作る者の手を離れるときすべてはよいものであるが、人間の手に移るとすべてが悪くなる」という、人間は本来善であるが人間が生きていく上ではどうしても社会化、文明化において自分より他人の意見に合わせて生きていかなければならなくなることが原因となり、だんだん劣悪になってしまうという性善説に立ったもので、そこから教育論を展開した。それは想起した児童教育法においていっそう明白になり、純粋に子供の視点から子供の教育の具体的必要価を説き、17世紀から18世紀の自由主義教育者の子供を見下ろす形式であった大人からの視点というものを変更させることとなった。「エミール」は独特の小説体を成した書籍であるが、子供時代の発見ということからその本の中で展開されている「子供というものは小さな大人や大人の縮図として考えるのではなく、個人差を認め子供の人格や自由を尊重し、知識を教え込むのではなく心身の発達に応じた教育を行なうべき」としたコメニウスと同様の「子供の発見」という人間観は以後ペスタロッチーやバセドー、カント等の教育者に多大な影響を与え、当時の教育観、児童観を根底から覆すコペルニクス的転回の教育思想であったと言える。そしてその教育史的連鎖は今日までの児童中心的近代教育の教育観、児童観を展開することになっている。
ペスタロッチーはコメニウス、ルソー、ロックなどの影響を受け、ヘルバルト、フレーベルなどの後続の教育思想家に影響を与えたスイスの世界的教育思想家であり、近代教育学の父と呼ばれている。「すべての人間は、平等であり、尊者であるとする」と唱えた教育思想は啓蒙期の教育論の持つ社会的参加の理念を共有しており、それは工業化社会にふさわしい人間の内的諸力の調和的発達によって、人間性にまで高めていく人間形成のあり方を研究し続けた学問的結晶と見ることができる。基礎教育を意味する「生活が陶治する」という原則から教育を考察したその教育思想は明治時代以降の日本の教育にも影響を与え続けた。幼児教育に関しては神があらゆる子供に等しく与えた諸能力を、どの社会階層の子供に対しても社会変革の主体として育成するために子供の感覚や生活環境の中での直接経験、そして直観教育という実験や経験を重んじ、子供本来の自然な歩みにしたがって発達させることを目指した。
フレーベルはドイツの教育家で幼稚園の創設者であり、ペスタロッチーの教育思想を受け継いだ「人間の教育にとって成長の初期段階が重要である」という教育思想から、就学前の児童の研究に専念し、永遠なもの、神性を捉えて表すことができるようにすることが教育の使命であると考えた。また「遊びは幼児の発達つまりこの時期の人間の発達の最高の段階である」そして「あらゆる善の源泉は遊びのなかにあり、また遊びから生じてくる」という外界の認識から内面の表現を重視するという思想から恩物と呼ばれる独自の遊戯を考察した。そのフレーベルの恩物は第一恩物から第五恩物まであり、その後の後継者たちによって造られたものをも含めると現在では二十数種に及んでいる。子供の発見という人間観により大人と隔離とも言える幼稚園という空間で、遊びによって子供の中にある人間の自然の姿を育てるということは現在でも世界中で普通に行なわれていることであり、個人主義の出発点とも言えるであろう。
これまで述べたように近代教育はコメニウスの自然主義ともいえる教育思想がルソー、ペスタロッチー、フレーベルの思想に影響を与えており、児童中心主義ともいわれる人間形成における幼児教育の重要性を唱えていることが特徴である。自然科学が発達した時代に成立したこともあり、自然主義といわれるコメニウスの教育論からルソーも理性的、自然的教育方法を重視した。また、啓蒙思想が批判されてきた18世紀後半に人格の調和的形成を目指すドイツの新人文主義とペスタロッチーは教授理論の観点では同じであったがそのエリート的教育とは対立していた。フレーベルの教育理論は工業化が進む19世紀の社会状況で子供の保育への社会的要請と重なり、世界へ広まっていったというようにそれぞれが活躍していた17世紀から19世紀の異なる時代背景の違いが、それぞれの思想の相違点と言える。
第2分冊
略題<教育課程>
受付15.11.26 評価B
第2次世界大戦終結後から現在に至るまで学習指導要領は何度か改訂されてきている。最初の学習指導要領は1947年にアメリカの児童生徒の生活経験を元に編成されたカリキュラムの影響を受けて作られており、その当時は教師が指導計画を立てて教育過程を展開する為の「手引き」と位置付けられていた。1951年の改訂では当時の文部省告示という形で公示される法律のような拘束力を持つものとして解釈されるようになり、その後も1958年には国民の教育水準を高めることを目的として、小中学校段階での道徳教育、高等学校での倫理、社会の新設により内容面でも大きな変化が見られ、この改訂の基本線を発展、強化するような改訂がその後も続けられた。しかし教育水準を高めることを目的とした当時の改訂に沿った実際の授業では、その内容に付いていける児童と付いていけない児童がいたことで、児童の間で学力に差が出てきていることが文部省の調査によっても明らかになった。そこで1977年には教育内容の精選、授業時間の削減によって調和のとれた人間性豊かな児童の育成を目指すように改訂され、さらに1989年には社会の変化に自ら対応出来る心豊かな人間の育成を図ることが基本的なねらいとした戦後の教育課程の理念や枠組みを大幅に変更するような改訂が行なわれた。そして1998年の改訂では教科内容の削減、週休2日制に加え「ゆとり教育」を象徴する「総合的な学習の時間」の創設が行なわれた。しかし、2003年10月の段階でその始まったばかりの新学習指導要領と言われている現行の学習指導要領の見直しが来年度にも大幅に見直されることになったようである。
ここまでが大まかな学習指導要領の変遷であるが、ゆとりと学力の向上の両立を目指す理想の教育の実現は難しく、昔から基本的な教育を重視し全体の学力を上げるような指導要領と、ゆとりが無ければ学力は深まらないという観点を持ち、生徒一人一人の特徴を生かし良いところを伸ばせるような指導要領の大きく分けるとその二つについて、どちらにしても批判の声が挙がり、これと言った指導案が編成できずに結局交互に繰り返してきているのだと思われる。指導要領の改訂の度にあったことであるが現行の指導要領が見直しの方向になったことについても、やはり授業時間が減ったことに対して学力低下を招くとの批判と不安の声が根強かったということもあるだろう。基礎学力の低下につながる可能性のある授業時数の削減も行なわれ、児童の学校で過ごす時間が削減されたことによって本来は道徳性の発達への寄与は学校生活全般を通じてなされるものであるが、学校の先生側と家庭との間でお互いに学校教育と家庭での教育を任せっきりな状況があり、何をして良いのかよく分からないという声が学校と家庭の両方から出ている今の社会にも問題がある。また、各学校で自由に創意工夫を凝らした教科書の必要が無い教育内容で基本的に何をやっても良く、その一方で文面で児童の成績を付けなければならない「総合的な学習の時間」については、具体的にはコンピュータと英会話といった国際理解、環境、地域、情報、福祉、健康に発展するものと示されている程度であり、その総合的学習の細かい内容を考えるのが今の学校、教師では困難ということかもしれない。そのため完全学校週5日制の導入は児童が自由に休みを過ごせる機会だけでなく、先生への教育も行なう良い機会であるとも言え、実際に小学校教師の知り合いは、休みを利用して毎週のように研修に参加している。現行の指導要領における一般方針の「ゆとり教育」に関して言えば、結果的に一年で見直しされる動きとなったのにも、上記のような教育課程編成における諸問題が関わっていたと思われる。
子供同士のコミュニケーションのためには博物館、ボーイスカウトなどの地域の多種多様な社会教育行政施設があり、小学校では勉強の他にも交友関係を広げるために子供同士で遊ばせたいと思うが、高学年になるに連れて中学受験という受験戦争に巻き込まれてしまう環境が子供達の生き方に制限をかけてしまっている。学校教育過程以外の社会教育とは机に向かっての勉強だけではなく、運動することも当然含まれてくるはずなので、学校が休みのためにできた時間で家族と過ごす時間も社会教育の一つだと考えられるが、テレビでキャッチボールのできない子供が増えているというニュースを見たときは、休日の親子の交流がいかに大事か考えさせられたこともあり、一緒に外に遊びに行くことも必要であろう。だが、実際に家にいるより外で遊ばせたいと思っている家庭もあるはずだが、それはそれで最近ニュースで報じられているようないろいろな事件があるように、少なくとも自分が小学生だった頃よりも危険であまり外で遊ばせたくないと敬遠されてしまうような現代社会にも問題がある。また、先生は生徒とのコミュニケーションから生徒の学力、性格、家庭環境、友人関係など一人一人の実態を把握する力が問われることになる。このように社会、家庭、学校が協力して教育課程編成の諸問題を解決できるような指導内容を試行錯誤していくことが欠かせないものである。
参考文献
「新説 教育の原理」 三井善止 編著 玉川大学出版部発行
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