博物館学Ⅲ

第1分冊
第2分冊

第1分冊

略題<展示の評価>

受付16.06.30 評価A

東大和市立郷土博物館で五月三十日まで開催されていた特別資料展「収蔵資料展・はこぶ民具」という博物館で収蔵している約六千点の生活用具の中から運搬や移動など主に物を動かす時に関係する道具についての展示を見学した。二階建ての建物の一階にある企画展示フロアを使い、タイトルどおり「運ぶ」を展示のテーマとして統一しており、全て過去に使用されていた農作物や水といった食料品を運ぶ物としての農具や戦時中の弁当箱をはじめ、風呂敷などの手に持って使う物から自転車、大八車のような大きい物、さらに運ぶのは物だけではなく声や情報も運ぶということで公衆電話や家庭にあった黒電話と呼ばれていた電話機など地域住民の協力により収集したものを展示していた。こうした今の生活においても比較的身近な物は不特定多数の来館者が展示の対象となり、来館者に対して博物館や資料館での展示による教育に興味、関心を持ってもらうきっかけとなると考えられる。また、同じ物を運ぶための道具であっても使われていたその当時と現在とでは形、大きさに違いがあるということを比較しながら展示していたことで、物から考えられる時代の背景についても教育できていたと思われる。実際に自分の他にも小学生ぐらいの子供を連れた親子が二組来ており、親が子供に説明をしながら見学しており、時代ごとの人々の暮らしぶりを展示によって学ぶことができるというねらいがあると感じられた。
展示は展示ケースと床のスペースを使用しており、例えば自転車はケースの中でも天井から吊るしておくのでもなく床に置き、逆に弁当箱は床に置かずにケースの中に展示していたように物が本来置いてあった高さに展示していたように思えた、結果的にそれは物の求める本来の視線の高さであると言え、全ての展示の中でやや高い位置にあった物といえば全体が見えるように風呂敷が広げられて吊るされていた程度なので展示全般の視線高はやや下目であり特に疲労は感じられなかった。ただ、ケース内の展示に対しては見学者との一定の距離が保たれているが、床スペースの大きな展示についてはロープで境界を作っているだけなので触ることができるぐらい近づくことが可能であった。それは単純にケースに入れることが不可能だから床に置いたのか、細かいところまで見てもらえるように置いたのかは定かではないが、距離に関しては教科書にある「退き」の無いスペースに大きな物を展示しており、近すぎるために見づらいと感じるところもあった。
展示室には窓は無く人工光線のみを照明としており、展示ケース内の照明については蛍光灯を用いており、ケース外の展示は白熱灯を用いていた。展示ケース内の照明は外側と内側の照度対比の数値は分からないが外側はやや暗い状態なので自分の姿が映り込むということは無く、静かで落ち着いた感じの展示となっていた。しかし床スペースに展示してある大八車等の大きな木製の物に対しては、やや暗い中でのライティングレールからの白熱灯の照明が暑苦しいとも感じられ「わが国では照度が高過ぎる傾向がある」との意見があるように、物にダメージを与えているのではないかと感じられた。これらのことから建物や諸設備も展示における学習の効果に影響することを考えると、このままでは問題があるのではないかと思われた。
展示エリアは何を運ぶ道具かの用途によって分けてられており、キャプチャーの並べ方はその用途ごとに道具の名前と使い方について展示の柵のところに立て看板のように立てる形式や、壁に取り付ける形式で説明されていた。展示物の中に落ち葉や草を大量にカゴに詰めて運ぶときにカゴに引っ掛けるための金具があり、カゴと金具をバラバラに展示していたので金具だけを見たときには使い方が分からないということがあったがそこはキャプチャーからの文字情報と壁に掛けてあった使用方法の写真や図のパネルで補っていた。その他に展示されていた道具の使い方はだいたい展示を見るだけでも理解できたが、やはりキャプチャーがあると鑑賞の手助けになると実感し、さらにその道具が博物館に収蔵された時のエピソードなども道具によっては書かれており、戦時中の学生が使っていたカバンに書いてあった名前や木材を使用した道具が作られたときに職人が墨で書いた作成年月日などのかすれて見えなくなっていた文字についても説明するという構成になっていた。
実際に昔は使われていた道具なので、物によってはレプリカを作り来館者にも使ってもらうという体験ができると当時の生活がもっと理解ができたのではないかと見学しながら考えたが、今回は展示のみで現代までの生活の移り変わりについて教育していた。その今回の特別資料展については展示の環境については何点か問題があるのではないかと思われたが、展示の内容だけを見るとテーマによっては道具としては廃品のものでも展示作品になるということを実感でき、種類はさまざまで単調な展示ではなかったために自分としては「分かりやすい」展示であったと評価できた。

第2分冊

略題<博物館と利用者>

受付16.04.13 評価A

現代の日本における博物館の課題として全体的に来館者が少なくなってきていることが挙げられているが、そのように人が来なくなっている要因となっていることは社会的にもいわれている不景気ということであり、それこそがそもそも問題であるという意見もある。つまり好景気といわれている時には来館者が少なくても問題ではないという極端な意見もあるのだが、それでも博物館側の姿勢を変えていくことで景気に関わらず来館者の増加を目標としていかなければならない。良い博物館活動のための環境整備にはお金の問題も関わってくることであり、日本の博物館には世界的に見ると予算が少ないという現状があるのだがそれは日本がそういった芸術文化が得意分野ではないからという理由が挙げられる。反対に芸術が得意分野であるフランスは国の予算の多くを芸術のための環境整備に使うことができているようである。よって博物館活動の活性化のためにはその少ない予算でできる限り美術館、博物館の一般的な「敷居の高い」というイメージから何度でも来たくなる、また図書館に行って必要な本を借りるように博物館でもここで調べなければ分からないことを持つような博物館造りをしていくことで、展示による教育という博物館活動が活性化するものと思われる。
展示による教育については「百聞は一見にしかず」という言葉にもあるように視覚は最も理解を促す有効な手段といえるのだが、特に何も考えないで作品をサッと眺める程度で通り過ぎられるよりも視覚に聴覚や触覚からの情報を加えることで来館者の思考力を奪わずに、より教育の効果のある展示ができるといえるだろう。このより効果のある展示による教育という考えを展示プラス何かという考えに発展させると、より作品と来館者とのズレを埋めていく手法として対話によって教育を行なうギャラリートークがある。それは来館者と作品の間に学芸員が入り、来館者との対話によって作品の意味付けを理解するきっかけとなり、将来的には来館者自身が作品の価値を理解し、評価をしながら鑑賞できるようになるための自転車の補助輪のような役割を持っているといえる。ここでの問題は誰にも邪魔されずに一人で作品を鑑賞したい人も当然いて、全ての人にこうした教育は必要でないという認識を博物館側が持たなければならないことである。そのためにギャラリートークによる押し付けがましさをどのように軽減、解消していくのかという点に関して、とりあえずはチラシ、ポスターで日時をしっかりアナウンスしておくことが必要であろう。また別の教育の手法としてはハンズオンと呼ばれる来館者に資料を直接触って使ってもらう場合や、簡単なものは博物館の工房で作品を作ることのできるワークショップという体験型の展示方法を用いる所が増えてきている。この体験型には例えば来館者が子供の場合はその子供の将来を左右するほどの創造的な出来事となるかもしれないので自分は賛成である。体験型に強く賛成する理由には自分もそういう経験をしたことがあり、小学校低学年の夏休みに地域の博物館職員が望遠鏡を学校のグランドに設置し、夜空の星を無料で見せてもらえる機会があったのだが、その時に肉眼で見たそれまでは図鑑やテレビでしか見たことの無かった惑星の姿に小学生ながら驚きと感動があり、星に興味を持つこととなったからである。その夏休み中の学校教育以外といえる出来事の影響で自分も将来社会教育関係職員の学芸員として、社会教育機関としての博物館や自分がそうであったのと同じようにこちらから機材、資料を持って出張という形で外に出向いて行き、子供達に直接体験してもらい創造してもらえるような活動をしたいと今でも思い続けることとなっている。
ここまでは展示の手法についてであるが、建物のデザインを有名な建築家に依頼する博物館が世界的にも増えてきており、スペインのブッゲハイム美術館、ベルリンのユダヤ博物館など街の再開発につながっている事例もある。日本でも結果的に地域の活性化につながるようなら良いとは思うが、ハードウェアといえる建物は立派だがソフトウェアに該当する展示物や来館者へのサービスはまだまだということではリピーターは期待できそうにないと認識しなければならない。同じように欧米ではお金が入ってきたために各博物館が独立行政法人化していったのに対して、日本ではお金が入ってこないので独立行政法人化したとの意見もあり、国の予算を使う上で目標を設定し、年度毎に評価してもらう現状であるが、評価する人に内部の人が入っているなど評価が正しいとは限らないようで、それでは先が見えない状態であるといえるかもしれない。今後は都市計画ともリンクした博物館を作る計画を立てる必要があり、あくまでも関係者のためだけではなく地域住民など国民のためを考え、現在周りにその博物館以外がなく殺風景でアクセスが不便といわれている博物館は考えていかないといけないだろう。また、博物館の活性化のためとはいえ、例えばリピーターが多く平日でも混んでいるようなテーマパークを基にしたアトラクション的な展示も集客力だけを考えると良いかも知れないが、あくまでも博物館はテーマパークではないので建物だけが目立ち、作品が目立たないということには注意しなければならないし、新しい試みによってそのような博物館に慣れる人は増えても良いが、飽きられないような活動をしていかなければならないと考える。

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