博物館実習事前、事後指導

博物館実習事前指導
博物館実習事後指導

博物館実習事前指導

略題<博物館の体験>

受付14.12.12 評価A

自分にとって初めての博物館体験は小学校低学年の時に秋田市にある県立子ども博物館に行ったことが記憶にある。そこでは科学に関する体験学習や展示等の催し物が開かれており、おそらく最初は兄が行ってみたいと言い出したことや比較的近所に住んでいたこともあり、当時は両親に連れられるままに何回か遊び感覚で出かけていた。建物の中には大きさは郵便ポストぐらいで内側の上部に大きな球形の金属が付いている透明なケースの中に鉄の粉が入っており、手元のスイッチによってその鉄の粉を上部の金属に柱状にくっつけたり、離したりできる磁石の力を自分の手で体験できる装置や、二つの大きな衛星放送用のアンテナの形状のものが部屋の両端で一直線上に向かい合わせに配置してあり、各アンテナの前で話すお互いの人の声が遠く離れた場所でも聞こえることなど、実際に体験できたことが記憶に残っている。
そして自分が博物館に興味を持つ直接の影響を受けたことと今でも思っているのが、その県立子ども博物館の方が出張教室といった夏休みの夜に近くの小学校のグランドに望遠鏡を何台か設置する機会があった時である。その日も兄と二人で出かけて行き、星空に向かって並べられている望遠鏡を覗かせてもらった時にそれまでは図鑑の写真、いらすとでしか見ることが無かった土星に本当に輪が付いているのを自分の目で見ることができた時の映像は衝撃的で今でも覚えている、それ以来宇宙や星に興味を持つようになり、もっと見たい、知りたいというように博物館へ足を運ぶようになっていった。
よく大人になると頭が固くなり柔軟な考えができなくなると言われているが、こうした体感、体験することは年齢に関わらず興味を持たせられるという点で生き方、考え方に影響を与えることができると思われる、さらに自分の場合のように子供の時に衝撃的な体験をしたことに関しては成長していく過程でなんらかの影響を受け続けることになるであろう。少々大げさだが自分も小学生の時に家族で博物館見学をしたということや望遠鏡を覗くという体験をしていなければ、博物館への興味を持たないままだったかもしれない。こうした事から博物館の課題として資料の研究、展示の他にも教育という面において講義のように話を聞かせて理解させるだけでなく、実際に大人も子供も対象として体験させられる内容の教育手段の研究が挙げられる。
もう一つ小学生の時の話だが家族で東京へ旅行に来たときがあり、その際に上野の国立科学博物館を見学し、自分のお土産として買った絵葉書、バッチ、恐竜の小さな模型がある。それから十年程経って東京の大学へ進学することになり、東京での暮らしに慣れてきた頃にあの頃は右も左も分からなかった場所に改めて見学に行ってみようと思い、忘れかけていた建物の雰囲気やその周りの公園の風景を再び見たときに単純に懐かしいだけとは言えないそれ以上の何か違う感情もあった。それは昔に親に連れられるままに来た小学生の時と違い、自分の意思とお金で見学に来たという実感があったせいかもしれない、また気になるお土産売り場に寄った時には自分が大きくなったせいか、記憶していたものよりは少し狭いように思えた。
この場合はずっと部屋に置いてあり、いつも目に入っていておそらく現在でも捨てずに保存している自分で選んで買ったお土産の影響があると言える。結果論かもしれないが、自分の場合はリピーターとしてその時の場所にもう一度行ってみたくなったし、実際に見学してみて例えば単純に読めなかった漢字が読めるようになっていたなど、より深く理解できて良かったと思え、何度行っても新しい発見がありそうだと思える所である。ここではこうした博物館での販売品とその販売方法の研究も課題であると言える。
また、これは博物館の建物の問題になるが子供はすぐに飽きてしまいがちなところがある。最初に述べた県立子ども博物館に関してはその名の通り子供向けの設備が充実しており、当時の自分のような小さい子供を連れてきている人のためにはボールやクッションが置いてありそれらで遊ぶことができる子供用のスペースも設けられているため、対象を子供としながらも親にとっても心配要らずの場所であっただろう。そこでこの子ども博物館に限らず、例えば小学生やもっと年齢の低い子供にとっては難しい展示をしている博物館においても育児室を設けるなど、親も子も安心して家族で来られる空間作りも課題として挙げておきたい。 今後の博物館の問題、課題としては資料の収集、研究、展示の他に大人も子供も対象としたいろいろな分野の体験学習の内容と方法を考え、小さい子供連れでも安心して来館できる建物の造りに、記念品等のお土産を充実させ、何度でも来たくなる博物館を目指していくことが挙げられる。もし子供の時に来館し博物館活動に影響を受け、将来今度はそこでの自分の体験を元に、より良い影響を与えられる側に立つようなサイクルが出来上がった場合は博物館も地域社会にとっても非常に有益なことと言えるであろう。

博物館実習事後指導

今回の博物館実習の授業について各先生方は「6日間と短く、大まかに広く浅くいろいろなことを体験するものであり、本当の学芸員としての仕事となるともっと専門的でより深いものになる」と言っておられた。その短い6日間の実習を終えて自分の中で学芸員に対するイメージや考え方の変化とまではいかないが、学芸員の仕事について広く浅くとはいえいろいろな作業を経験し、本を読んでいるだけでは分からない多くのことを学ぶことがでた。また現役の学芸員の立場からのものの見方と考え方は自分が考えていたよりもっと深いものであるという印象をもつこととなった。
例えば展示技術の授業では、自分達のようなまだ素人のグループの中の話し合いでは、似たようなもの、同じようなものはまとめて展示するべきだろうと単純に結論づけて展示したのだが、後で先生からは作品はそれぞれが独立しているものとして扱うためまとめて置くような事はしなくても良いと言われたこと、また同じ授業では展示フロアの照明は展示資料の保護と資料を見る人の両方にとって快適にする事の難しさを聞き、作品のキャプションについても来館者は老若男女、車椅子や色覚障害などの障害者という事もあり得るという事を頭に入れて展示していかなければならないといった話があった。やはり現場で働いている現役の学芸員の意見は普段の自分では気にもせず、まったく思いつかないような細かい事まで気にしているのだと考えさせられた。修復の授業では修復というからには絵画にしても彫刻にしても元通りに戻すものだと漠然と考えていたが、実際は記録を取りながらオリジナルと区別できるように素材、書き方などを変えて直していくのが常識だということを教えられた。これらの話を聞いて、何もかも新鮮でもっといろいろなことを吸収したいと学芸員に対する興味がさらに増していった。
また、博物館実習を受ける前とそれほど学芸員に対するイメージが変わらなかった点は、やはり資料を中心に考えて仕事をしているということである。学芸員は博物館の専門職員であり資料の収集、保存、調査、研究、展示、教育といった博物館活動にあたるうえで、一定の温度、湿度の中で保存する難しさ、博物館は生涯教育の場であるゆえに資料を展示する必要があるがそれは同時に資料にダメージを与えることになっており、そのダメージをなるべく少なくするという難しい問題の中で仕事をしているという話と、同じく来館者を増やすためや地域社会の要望に応じるために開館時間を延ばした場合も展示資料はその分休めなくなるという話もなかなか深刻な問題のようである。他にも例えばランドアートが村おこしになり、地域における生涯学習の対象となるのは良いことだが保存方法についてどうしたらよいかという問題が起きたり、将来的な保存、展示のデジタル化という話では情報の共有、顧客サービスの拡張、インターネットによる公開により宣伝効果も得られるということに対して、本物の持つオーラが無くなる、物が後退する、著作権の問題などが出てきているために昔からデジタルミュージアムについては栄枯盛衰を繰り返しているという現状もある。このように何か博物館活動をする度に良い点もあるが問題点も出てくるというのは、いかなる博物館活動においても資料を安全の保つことを優先して考えながら仕事をしているためであり、やはり学芸員は資料の取り扱いにはいくら気をつけても気をつけすぎることは無いというくらい慎重な態度で取り組む必要があるということは変わらない点である。
各先生の話を聞くと仕事は大変だと言ってはいるが、続けてしかし本当におもしろいとも口を揃えて言っていたのが印象的であり、そのような学芸員として自分もなんとかして働きたいと思っている。まだいろいろなことを勉強しなければならないが、今回の実習では例えば土器の持ち運びは非常に緊張し慎重に扱ったが、何年か後に学芸員としてそういった場面になってもいつまでも今回の博物館実習で学んだ注意事項、規則を守れる学芸員になろうとあらためて強く思い直した。また今回の博物館実習の先生方の講義は話が上手いという印象も持った、それは教員のいない学校というものは考えられないのと同様で、博物館においても学芸員が先生とも言える立場であり、実際に教壇に立つということもよくある事だからなのであろう。学芸員は博物館で専門的な仕事をする人であり、研究者、保存技術者の他に教育者としての仕事もあり、日ごろの地域社会への教育活動、また他の博物館との資料の借用時の交渉、民間からの資料の借用時の交渉等で自然と身に付いた部分もあるだろうが、基本的に自分の仕事に自信をもっているからこそ堂々と我々生徒達にも講義できたのだと思われる。自分も今の仕事のうえでお客さんとコミュニケーションを取ることもあり、話をするのは苦手ではないのでそういった経験を生かしていくのが自分の学芸員像である。

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