視聴覚教育メディア論
第1分冊
第2分冊
第1分冊
略題<調査研究>
受付15.09.26 評価B
一つの講義中における視聴覚教育機材の使用頻度は、教授と受講者の双方が満足しているのか? というテーマを設定し、自分の経験から考察した結果を「教授の使用頻度に対して受講者側にとってはもっと少ないほうが授業への集中と取り組む姿勢という意味では有効であろう」と結論付けた。
ここでの自分の経験とは約二十年前の小学校時代からの話であり、その頃の視聴覚教育機材は現在のものとは若干違うものであるが、自分が通っていた小中学校と高校には主に英語の授業で使用する機会が多かった視聴覚教育教室があったほか、全ての教室にOHP用のスクリーンがあり、小中学校の授業で使用する際には先生がOHP係の生徒に準備させていた覚えがある。その頃から大学までの経験を通して思い返すと、教室での授業中に先生の話を長時間聞いているだけの授業、つまり聴覚からの情報のみではどうしても飽きることが多く、結果的に頭に入りづらかったと言える。まずは視聴覚機材を使用する理由として「百聞は一見にしかず」という言葉にあるように聴覚よりも視覚に訴える方法が、理解を促すために有効な手段であるということが大きな理由として挙げられるであろう。こうした視聴覚教育機材の具体的な使用については、例えばOHPを使い、大きなグラフや複雑な図形などを見せたうえで説明したほうが有効である時には、その時になってから黒板に書き始めた場合では時間がかかるし、せっかく書いたのにいずれ消すことになるため簡単に複数回の使用ができない。そこで前もってOHPシートに書いておくことによって複数回使用できるし、シートを交換するだけで他のグラフ、図形も見せられるし、戻したいときにもすぐに戻せるため、円滑に授業を進められる。
しかしここで言いたいことは、その時に見ている側である受講者としては集中していないだけなのかもしれないのだが何か映画やショーを見ているような感覚になり、それまでの教科書を読み、チョーク等で板書をしながら授業を進めていた教授の「では、これを見てください」という声で何かそれまでの緊張感が無くなってしまう不思議な経験が、実際に半年前の冬季スクーリングの授業中にあった。また、だいたいその際には教室を暗くしてより鮮明に資料を見せようとするために受講者としてはメモが取りにくい、よってメモを取らなくなる、最終的にせっかく聞いた事を残せないので忘れてしまったときに思い出せないということにもつながっていく。さらに人によって教室が明るくても暗くても関係が無いことかもしれないが、教室が暗くなりスクリーンでスライドを見せながら説明している時に居眠りを始める受講者も出てくることも事実である。教室以外では博物館の講堂にあるスクリーンで資料を映しながらのシンポジウムのときも、会社での社員によるプレゼンテーションのときも単に集中をしていないだけかもしれないが、テレビを見ているような感覚になってしまう。
ここまでの話は視覚に訴えるOHPの使用についてであるが、同じことは聴覚においても、どの学校にも設備の質に違いはあるが存在していたと思われる視聴覚教室における中学、高校の授業風景からも言える。私も中学校や高校時代に主に英語の授業で視聴覚教室を使うことがあったが、そこではビデオを見ながら音声は各席にあるヘッドホンを各自が着用し、流れてくる声を全員で聞く方法を取っていたが、生徒からしてみれば最初は集中しており真剣に理解しようとするのだが時間が経つにつれて、やはり飽きてくるために「何か理解できない英語が聞こえてくる」というような感想を持ち始める雰囲気になってきていたものである。
OHPとヘッドホンの話から一つの講義で使用される視聴覚機材の理想の使用頻度は現状では教授と受講者の間で差があり、教授側が考えているより使用頻度を減らし、黒板にチョークで書きながら講義しつつ受講者からの質問を受け付けたりしてもらえるほうが学ぶ側は理解できるのではないかと考えた。
最後に視聴覚教育機材や環境の問題ではないだろうかと気が付いた点から理想の視聴覚教育機材や環境はどういうものか考えると、まずはスクリーンと黒板は重ならない位置に置かれるべきであり、何度も電気を点灯、消灯することの無いように、例えば明るい部屋でも投影できるスライド映写機の使用が望ましい、またスクリーンの上げ下げ、最初に行なうマイクの音量の調整、さらに教授自身の機材の操作ミス等で結構時間がかかってしまうこと、これは授業の流れを止めてしまうことになり、生徒の集中力に影響を与えてしまうことにつながるのではないかと思われる。決して視聴覚教育機材を教育の手段として使用することを批判するものではないが、最後に社会や学校での教育は機械に教えてもらうのではなく、やはり人間が人間に教えてもらうものであるので、教授側もあまり依存し過ぎることは避けなければならないとも考える。
第2分冊
略題<情報教育の分析的研究>
受付15.10.02 評価B
私は現在システムエンジニアとして働いており、日常業務を含む仕事をする上でもまずはパソコンが無くては始まらない状態である。ネットワーク上でのコンピュータの利用については仕事の他にも家庭にあるパソコンで地域の図書館における本の貸し出し状況を知ることができたり、日常生活においてよく利用するコンビニエンスストアやスーパーの流通を管理するシステムもコンピュータで制御している、また近所の床屋でも毎日会計ソフトを使って経営を管理していると言っているように、今や社会のほとんどの場所でコンピュータが利用されていると言える。実際にパソコンは世界で1年間に1億2000万台売れる世界一の電気製品であり、日本国内でも内閣府の調査によれば各家庭のパソコンの普及率は60%を越えた値となっている。しかしいきなりコンピュータを目の前にしていろいろな機能を使いこなせる人はいないわけで、少なくとも本を読んだり誰かに教えてもらい、使い方を覚えていくはずである。そこで身近なコンピュータである携帯電話を小学生でも使っているこの時代であるが、コンピュータの教育利用はいつ頃から始める、または始めさせるのが良いのだろうか?
自分の経験から言うと、コンピュータについて最初に学校の授業として当然パソコンを使い学んだのは大学の選択科目の中にあった「コンピュータ実習」であり、基本的なワープロ作業から簡単なプログラミングと実行まで広く浅くだが教わった。それまでのパソコン経験と言えば10年程前の今から比べると値段が異常に高かった頃に兄が買ったパソコンを使わせてもらい、ゲームで遊んでいたぐらいで、当時はあまり興味が無かったのが事実である。しかし大学の時の卒業研究を論文にまとめる際にパソコンを使いドキュメントを作成しプリントアウトして提出する必要があったことや、プログラミング作業の授業では自分の期待する結果が画面に表示されるまで何度も修正し、満足な結果にするということを繰り返しているうちに少しずつ興味を持つようになっていったと言える。このように自分は20歳頃になってから教育利用としてコンピュータを使い始めた比較的経験が浅いのだが、それでも興味を持ち現在それを仕事として生活することとなっている。
そこで最初に提示した問題の解答を考えると、一般的にコンピュータに関わらず何でも始める時期が早いほど身に付けられる期間が長くなり、さらに頭が柔軟と言われている10代、20代の頃のほうが飲み込みが早いと言われている。そして今では当たり前になっている会社での日常業務も学生時代にやってきたことが生きているということも少なくない。例えばペーパーレス化の動きもあり、ドキュメント資料は基本的には手書きよりもワープロ化してメディアに保存する形式をとるようにしていることや、学校から自分のメールアドレスをもらい、研究室やコンピュータルームを利用できたことでインターネットによる情報収集、電子メールで就職活動の際に企業へ申し込んでいたことも少しはビジネス文書の勉強になっており、会社に入ってからの仕事の面においても関わりがある。しかし始めるのが早ければ早いほど良いとは言っても小学生の授業ではノートに鉛筆で字を書いて覚える必要はあるだろうし、計算問題にしても電卓で正しい答えはすぐに出せても、その理由が分からないのでは少し問題であろう。
コンピュータの教育利用の理想の開始時期について一言で解答を出すのは難しく、自分の経験からも実際に触っているうちに知識が身に付く部分が多いので、まずは興味を持った時点で最初から勉強というスタンスではなくいろいろ操作してみることから始め、その後で学校で先生に教えてもらうことや先輩に雑談交じりで教えてもらうことも教育利用と言えるのではないだろうか。またそのような学生時代を過ごさなかったとしてもパソコン教室の宣伝をテレビ等で見ない日は無いようなことから、生涯学習としていつでも教育を受けられるのでそういう教室で学ぶのも遅くは無いだろうし、要は続けることが大事だと考える。
このようなパソコンをはじめとするコンピュータの魅力の一つに、使いにくさゆえに発生する学ぶ楽しさや充実感が得られることがあると言う意見がある。そもそも使いにくさと言っている時点で良いことではないかもしれないが、学ぶ楽しさという点に関しては言われてみれば確かに自分の経験でも思い当たることはあり、まだこれからも仕事で多くのプログラミング言語を理解しなくてはならない。それをいやいや勉強させられていると考えるか、自分のスキルアップにつながると考えるかによって辛くも楽しくもなるであろう。今後コンピュータは職場や学校単位の教育利用だけではなく、各家庭の教育手段として幼児のおもちゃとなる日が来るかもしれないが、興味がない子供に無理矢理やらせることは返って逆効果に成りかねないということを親は注意しなければならない。また引きこもりと言う言葉をよく耳にする現代社会や学校において基本的には人間と人間とのコミュニケーションによる教育の一つの手段としてコンピュータを有効に利用していきたい。
引用文献
「インターネット白書2003」 財団法人インターネット協会 監修
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